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ナンタケット島を10倍楽しく知る方法
10.メルヴィル「白鯨」とナンタケット島
前置き: ハーマン・メルヴィル「白鯨」の舞台であるナンタケット島?
ナンタケット島、というと必ず、「白鯨の舞台となった地」という解説がつくものです。
ですが、それでピンときて、「ええ、あの白鯨の?」となるかというと?フツーならないですよね。そのハクゲイっていったい何よ、という感じですよね。
筆者はたまたま大学のときに英米文学科にいて、卒業するためには学ばざるをえなかったので、たまたま知っていましたが、そうでもなければ、タイトルすら知らずにきたかも・・・、ましてや読むなんてこと絶対になかったと思います。だって長いですし。
だいたい、私の知る限り、ナンタケット島でこれまで会った人で白鯨をちゃんと読んだことのある人は誰ひとりいなくて、「白鯨を読んだ」というと、軽く引かれます。いや、ほんとです。
なので、ふつうの日本人が、「白鯨の舞台」といわれてピンとこなくても、まったく不思議ではないと思います。
ですからこの章では、「白鯨って何よ?」というところから、「ナンタケットといったい何の関係があるのよ」という部分を軽く説明したいと思います。
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最も読みやすいと定評ある訳本です。こちらは上巻で、下に中・下巻を用意しています。
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白鯨ってどんな話?(ネタバレなし)
「白鯨」は、文字どおり、クジラの話です。
白いクジラを捕りにいく話ですね。冒険ものといえば、冒険ものです。
捕鯨産業が栄えていた1800年代(日本でいう江戸末期)、主人公の男がクジラを捕りにいくため、捕鯨船に乗り込みます。当時、捕鯨はかなりのお金儲けになったのです。クジラの体からは大量の油が採れ、それがランプの燃料や工業用の潤滑油として高く売れたからです(石油の前の時代ですね)。
男がたまたま乗った捕鯨船の船長は、ほとんど狂人でした。むかし、とてつもなく大きく白いクジラを捕ろうとして、片足をもがれてしまい、以降怨念に狂っているのです。そして、自らの手で、あの白いクジラを必ずや殺してやる、と復讐に燃え、それしか考えられなくなってしまいます。
そんな船長が指揮する捕鯨船!たいへんです。大海原の上です。逃げ場がありません。命かかっています。(ここで現代人ならみな、自分の上司のことや組織マネジメントのことを考えながら読むでしょう。)
船は、地球をほぼ4分の3周したところで航海を終えるのですが、その船の上で繰り広げられるさまざまな出来ごと、クジラや捕鯨産業について、文化や宗教や歴史や、ありとあらゆる視点から航海が語られます。それが、「海洋冒険小説の枠組みに納まりきらない」「象徴性に満ちた、知的ごった煮」の物語となっているのです。
いやー、メルヴィルさん、これ書くのさぞかしたいへんだったでしょう!といいたくなる内容です。人間が書いたものとは思えないですね。 「世界名作十大小説」に必ず入るということですが、ほかの九つが何かはわかりませんが、でもこれは納得できます。こんな幼稚な感想でいいのか?と、いま書きながら思っているのですが、とにかく小説の域を超えていると思います。なんでインターネットも十分な書籍もない時代に、こんなにたくさんのことを知っているのか、驚愕です。
また、長い間読まれ、研究の対象となっていることの理由に、物語が象徴性に満ちているという要素があります。船長の白クジラに対する復讐心を、国家対国家の復讐、戦争に置き換えて考えてみたり、クジラ獲りという職業から資本主義の本質をとらえてみたり。なかには、9.11のテロを、白鯨中のストーリーで説明する例もあるほどです。
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ナンタケットがどう出てくるか
で、その物語とナンタケット島に、何の関係があるのか、という話しです。
主人公が航海するのは、ナンタケット島に籍をおく捕鯨船であり、出発したのは、ナンタケット島であり、乗組員も「ナンターケットびと」が中心で構成されています。
ちなみにこの「ナンターケットびと」という語、原文はたぶん"Nantucketer"だと思いますが、八木敏雄氏のこの訳は秀逸と思います。そのままもし、「ナンタケッター」なんて訳したら、メルヴィルの持つナンタケットに対する高貴な感情が台なしですものね。 注)岩波文庫「白鯨」八木敏雄訳
では、ナンタケットを「ナンターケット」と表記しています。
それはそうと、当時、ナンタケット島は、捕鯨では世界一の本拠地だったのです。 主人公は、 「わたしはナンターケット以外の船で海に出るつもりはなかったのだ。」 と言っています。 「それというのも、かの由緒あるナンターケット島にまつわるものには、いずれもすぐれて豪快な何かがあって、それがいたくわたしの気にいっていたからである。」(第2章
カーペット・バッグ) というほど、本家本元であるナンタケット島から捕鯨に出ることに、こだわりをみせています。 この章では、ナンタケット以外はしょせんパクリ、とでも断言しそうな勢いです。
「この陸と海からなる地球の三分の二は依然としてナンターケットびとのものであり、皇帝が帝国を占領するように、ナンターケットびとが海を領有している」(第14章
ナンターケット) というくだりもあります。 つまり、地球上の海はみーんなナンタケットのもので、ほかの船は、ナンタケットに、海を使わせてもらっているんだよ、とのこと。
そして、「地図をとりだして見るがよい。」(第14章
ナンターケット)というほどに、ちっぽけで草も生えないような島が、この地球を、世界を支配している、という、なんか皮肉っぽい事実。これは非常に示唆的で、いろいろなことの象徴と受け取れます。
また、捕鯨業界において、ナンタケットはあらゆる点でエリートであり、物語中の船の中でも、こいつはナンタケット出身か否か、ということでちょっとした階級があるようすが描かれています。船も同じで、ナンタケット船籍、というのはやはり捕鯨船の中でも一目置かれています。
ナンタケット島は古くから、階級的・排他的な文化であったことが、ナンタケット島研究家のナサニエル・フィルブリック氏が著書「復讐する海
捕鯨船エセックス号の悲劇」の中で述べています。以下、引用です。
ナンタケット島の人々は島民以外の人間を快く思わず、「よそもの」あるいはもっと差別的な「クーフ」という言葉で呼ぶ。これはもともとケープコッド出身者に対する蔑称だったが、やがて不幸にして本土で生まれた人間すべてに向けられるようになった。
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白鯨は、捕鯨船エセックス号の沈没を元に書かれました。この事件を再現した本です。
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ナンタケットが世界を支配していた!
ナンタケットこそ世界の支配者であり、クジラ捕りこそが世界を動かしているんだ!と、メルヴィルは力を入れて主張しています。
そして、クジラ捕りという職業が実は、歴史に残るほどのたいへんな功績をあげている人々なのに、世間にいかに不当に評価されているかが書かれています。それを「知らしめたい、というのがわたしのたっての願望なのである」と、第24章は、「弁護」とし、クジラ捕りの弁護に費やしています。(これは、死ぬまで評価されることのなかった作家メルヴィルの忸怩たる思いと、重なりますね。)
では、ナンタケットが世界を支配していたというのは、どのようなことなのでしょうか。
ひとことで言えば、当時の世界はクジラを中心に回っていた、そして、そのクジラ産業の中心地が、ナンタケット島であった、ということです。
具体的にみていきたいと思います。日本も実は巻き込まれていて、おもしろいです。
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世界はクジラで回っていた
その昔、世界はクジラを中心に回っていたことがありました。
まず、クジラの油。これは灯りであるランプの材料となっていました。そのほか歯車などに使う工業用の潤滑油にも鯨油が使われていました。石油が発見される前の時代です。
そしてクジラのヒゲは、プラスチックがなかった当時、重宝されました。衣類に、昔の婦人用のコルセットや帽子などに、布の形を整えるボーンとして使われていました。またソファやマットレスのバネ、コイルもクジラのヒゲでできていました。
クジラは主要な資源であり、当時の人々の生活は、クジラによって成り立っていたわけです。
また、歴史に残る、大陸や島の発見も、実は捕鯨船の功績によるものだった、という事例がたくさんあります。 オーストラリア大陸の入植、ポリネシアの島々の発見などは、すべて捕鯨船によるものだと、メルヴィルは白鯨の中で述べています。
歴史に残る探険家とされているのは、クックやヴァンクーヴァー、クル−ゼンシュテルンなどであるけれども、 「ナンタケットから旅立った数おおくの無名の船長たちがクックやクルーゼンシュテルンにまさるとも劣らぬ偉大な英雄であったことを言っておきたい」 と書かれています(第24章「弁護」)。 「ヴァンクーヴァーがその著書に三章をついやして記述した冒険などは、しばしば、こういう英雄たちにとっては、通常の航海日誌に書きとめるにさえ値しないたわごとであった。」
そして、日本の開国も! 「あの二重にかんぬきをかけた国、日本が外国に門戸を開くことがあるとすれば、」 それは捕鯨船の功績にほかならない、とメルヴィルは断言しています。 「事実、日本の開国は目前にせまっている。」 メルヴィルが「白鯨」の第24章でこう書いた2年後の1853年に、ペリーが浦賀沖に現れていますから、この話はリアリティがありますね。 (右写真:
浦賀沖に現れた黒船)
日本の開国と日米和親条約の調印は1854年のことで、その中の条項には、アメリカの捕鯨船の寄港地として、物資の補給と漂流船員の保護を目的とした内容が盛り込まれています。筆者が調べたところ、第二条が該当しました。 これって、捕鯨船のことだったのですね。
第二条) 伊豆下田、松前地箱館の両港は、日本政府に於いて、亜墨利加船薪水食料欠乏の品を、日本にて調ひ候丈は給し候為め、渡来の儀差し免(ゆる)し候。
(伊豆の下田と松前の箱館の二港は、日本政府がアメリカ船の薪水食料など欠乏品を日本が調達した分を供給するので渡来を許可する。)
また、「ペルリは日本開国の恩人にあらず、真の恩人は日本近海の鯨族である」 とは、桑田透一(「開国とペルリ」1941年)の言葉です。
そしてその「鯨族」の最たる者がナンタケットびとだったのです。 ナンタケット島から出航した捕鯨船は、日本近海まで来ており、それが日本の開国に影響を与えたのです。
白鯨の本文中には、船長のエイハブが海図を取り出し、「長い日本列島、ニホン、マツマイ、シコケ」(本州、北海道、四国のこと)のようすを調べているシーンが出てきます(第109章)。
また、当時の大国であるオランダやフランス、英国などは、捕鯨船団に提督をすえたり、捕鯨業者に助成金を出したりと、クジラが大きな国策の一つとなっていました。
いつの時代も、国益のために資源の獲得に多大な尽力をするのは同じです。 それでも各国の捕鯨船をすべて合わせても、アメリカの捕鯨船の数にはかなわない、とメルヴィルは述べています。そしてそのアメリカ捕鯨のメッカがナンタケットだったのですから、当時のナンタケットの力というのは、計り知れないものがあります。
ナンタケットと白鯨とスタバ
突然話が変わりますが、おなじみ、スターバックス・コーヒー。
実はこのスターバックスという店名、「白鯨」で登場する、ナンタケット島出身の一等航海士スターバックにちなんで名づけられています。 ちょっとしたトリビアです。
なんでも、このスターバックが、コーヒー好きだったとか。 でもそんなこと、本文中に書いてあったかなぁ・・・。 前出の八木敏雄氏の訳注によれば、「スターバックがコーヒー好きであったかどうかは保障のかぎりではない。」だそうです。
ただ、スターバックというのは、ナンタケット島ではよくある姓です。 ナンタケット島研究家のナサニエル・フィルブリック氏の著書「復讐する海
捕鯨船エセックス号の悲劇」に、以下の記述があります。
もし母親がナンタケットの旧家の出身で、コフィンやスターバック、メイシー、フォルジャー、ガードナーといった由緒ある姓だったら、トマス・ニカーソンも島でいくらか重きをおいてもらえたかもしれない。
ここでスターバックとともに挙げられている苗字、メイシーですが、 アメリカで有名な百貨店メイシーは、ナンタケット出身であるRowland
Hussey Macyによって創業されたものです。
さらに、かのベンジャミン・フランクリン、アメリカ独立に大きく関与したベンジャミン・フランクリンの母は、アバイア・フォルジャーといい、ナンタケット島出身です。
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ナンタケット島ガイド連載は、以上で終わりです! ここまで読んでくださって、本当に嬉しく思います。ありがとうございます。
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